ともしらが

ともしらが日記

「2004年3月」アーカイブ
2004/03/31 (水)  懐かしいのぉ
ナポちゃがね、まだ帰ってこないの。メッセンによると、まだ会社でお仕事みたいです。心配でございます。

さっき、BBSにレスを付けていて思い出したのですが、最近よく去年のことを思い出すのです。

仕事が決まらなくて、落ち込んでいたことのこと。この前もナポちゃと「去年の今頃は〜」なんて話していた。

出口のないトンネルはない。

本当にそうだと思う。苦しくても、辛くても、いつか必ずハッピーなときが訪れる。もちろん、その後にまた辛いこともある。だけど、その後、またハッピーな時が訪れる。

たぶん、これからも仕事のことで落ち込んだりするだろう(現実に2月は落ち込みまくり(笑))。でも、ナポちゃもいるし、去年の落ち込んでばかりの自分を思い出すと、なんだかがんばれる。あの時より今はまだいいかなって。
2004/03/30 (火)  伊勢・大阪の旅
みなさん、ゴールデンウィークの予定は?

わてらカップルは、去年突然3日前ぐらいに大阪行きを決め、半ば無理やり名古屋と大阪の友達に時間を作らせ、そして泊まらせてもらって1泊2日の名古屋・大阪の旅をした。詳しくは
そして、まだ確定ではないが、今年のGWも大阪へと勝手にナポちゃと考えている。

ナポちゃがね、伊勢に行きたいんだって。
ナポちゃが伊勢でしたいこと↓
その1:伊勢神宮へ行く。 
その2:夫婦岩を見に行く。 
その3:本場の赤福を食べる。 
その4:本場の伊勢海老を食べる。
その5:伊勢うどんを食べる。 
らしいです。大半が食べ物(笑)。いいの、いいの。旅の楽しみは食べ物ですから。

そして、大阪はもちろん友達に会いにいくこと。ナポちゃは神戸の景色も見に行きたいらしい。うーーん、まだ予定はぜんぜんちゃんと決まっていないんだけど、楽しくなってきますた。
2004/03/26 (金)  パニック障害
会社の上司はもともと体が悪く、最近うちで仕事をしている。やり取りはメールやメッセン。いつもメールなど即答してくれるのだが、今日はさっぱり。メッセンもずっと繋がっていない。こんな状態は初めてで、うちで倒れてるんじゃないかってすごく心配になった。

仕事のことで何度かメールを送ったら、やっと夕方前に返信が来た。どうやら体の調子は最近ずっと悪かったようだが、以前からのパニック障害になったらしい。

それでも、上司が対応しなければいけないことも多いし、プロジェクトは進めなければ納期に間に合わないし。

今日も来客があってちょっと出社してきた上司がボソっと「あぁ、今はもう考えられない・・」と一言。

それでも、進めなければいけないプロジェクト。その中で私ができることは・・・今の仕事をしっかりとしていくこと。上司の負担を減らしていくことかな。
2004/03/26 (金)  ネットスケープ4.01
ネットスケープ4.01のブラウザで見ている人なんていないですよね・・・もし、いらっしゃったら、メール下さい。

って、いないよね・・・

もれなくPuhuuがついてきます。
2004/03/25 (木)  忘れてた
忘れてました。って何が?

昨日あんなに「会社に一緒に行けて嬉しい」と言っていたのに。うちの会社夏に移転する予定があるんでした。しかも、今日会社の人が見に行った物件は今よりうちから遠くなる。他の物件になることを祈る。

まぁ、 でも最寄の駅が一緒ってことも贅沢なことだよね。もし、今のところからだいぶ遠くに移転するんだったら、それまでの間ナポちゃとランチに行ったりできるだ けしたいなと思ったPuhuuでした。ナポちゃの会社が移転してきてから、2ヶ月。まだ1回しか行けなかったから。

さて、仕事に戻ります。では。
2004/03/24 (水)  久々 近況報告
久々の日記更新。

あの怒涛の日々も落ち着き、やっと早く帰れる日々。と思ったら、今度はナポちゃの方が毎晩終電。しかも、いろいろと仕事で心配事があるようで、精神的にも疲れ気味。

そんな私が今できることは少なくて、話したり、お風呂で背中を流したり、マッサージをしたり。少しでも、安らいでくれたらいいなと思う。

今は会社の最寄り駅・開始時間が一緒なので、けっこう二人の時間はあるのが嬉しい。

最近は、Puhuuに時間の余裕ができたので、夜お米のタイマーをセットして、朝起きたら、まずお弁当作り。

Puhuuはごはんを詰める係で、ナポちゃはおかずを作る係。Puhuu楽チン?と思いきや、一応ナポちゃがおかずを作っている間、冷凍食品を解凍したり、朝ごはんのお米を茶碗に持ったり、お茶を用意したり、納豆混ぜ混ぜしたり。(やっぱり楽チン?)

そして歯を磨いて、顔洗って、髪の毛を整えて、着替えて、ゴミをまとめて、最近ほとんどしなくなってしまった「いってきますのチュー」をして。

マンションの入り口でポストから新聞を取り出し、ゴミを捨て駅へ向かう。

電車に乗っている間、小声でコチョコチョ話す。会社の話、友達の話。週末の予定。新聞を見ながら、記事についての感想を言い合ったり。そして会社の最寄り駅で別れる。

そんな毎日の朝。
2004/03/12 (金)   朝食
最近朝ごはんをうちで食べることが出来なかった。気が付くと、3食コンビニとか。これも数日続くと、けっこううんざりしてくる。

昨日早く帰れたPuhuuは、お風呂から先に出て、せっせと次の日の朝食作り。

大根と鶏肉を煮るのと、かぼちゃを煮た。ごはんも久しぶりに炊いて、納豆もあるし、万全!

そして今日、いつも7時に起きているのに、起きたら7時45分。ええ!と焦りながらも、ナポちゃが「もうコンビニの朝食は嫌だ」と時間がない中、昨日作った料理を食べる。

久しぶりに二人で食べた朝食。なんだかとてもおいしく感じた。やっぱりうちでごはんを食べるのっていいなぁってシミジミいたしました。
2004/03/11 (木)  ふたたび登場
日記書いて、お風呂入って寝ようと思っていたけど、どうしてもここに載せたい文章があったので、再び登場のPuhuuでございます。

私 はメルマガとかあまり読まないのですが、たまたま登録していた博○堂のメルマガ、1回もちゃんと読んだことがなかったのだけど、たまたま読んだ文章にとて も感銘を受けたので、こちらで紹介させてください。(本当は許可取らないといけないんだろうけど、こんな小さなHPだから許してくださいませ。)

このメルマガを読んで、この文章に出会えてよかったなって。初のプロジェクトマネージメントがうまく出来ず、「もう嫌だ」って思っていた時に、読んでよかった。

以下博○堂のH○LLSニュース(コラム)の転載です。↓

先 日祖母が亡くなりました。94歳の大往生でした。とても可愛がってくれた彼女の思い出を辿るうちに、ふと女の生き方って何だろうという気持ちになりまし た。物心ついたときから私にとっては「おばあちゃん」という存在だったので、これまで一度も女性として自分と彼女を重ねて考えてみたことなどありませんで したが、自分が大人になって初めて気付くこともあります。

祖母は明治の生まれ。あの年代の女性なら、20才頃には嫁がされ、恋愛結婚も多 くはなかったでしょうから、いわば夫の当たりハズレは自力とか選択眼より、「運」によるところも大きかったのではないか。そして子供を産んで育て、生を まっとうする。彼女達には、与えられた人生にどうにかしてどっかりと根をおろす、ということ以外に生きる選択肢も迷いも、ほとんどなかったように思うので す。

私の祖母は、派手な着物を欲しがるわけでもなく、宝飾品が好きなわけでもなく、特に食べ歩きや旅行が趣味だったというわけでもありま せんでした。遊びにいけば必ず「よく来たねぇ、お腹減ってないかい?」が最初の言葉で、自分より子や孫にいつも何かを与えることに喜びを感じている風だっ た、と、そんな話をしていたら、母が祖母に昔「お母さんの幸せってなに?」と聞いたことがあると言いました。その時の彼女の答えは、「そんなこと考えたこ ともない。朝起きたら窓から山が見えて、春には桜がみられて、それで充分だよ」と。

どうでしょうか。私は何だかすごい、と思いました。脚色なしに、「家族が健康で幸せならそれで良い」を地で行ったわけです。

こ の20年くらいで、女性の生き方には本当に選択肢が増えました。恋愛も自由、未婚も結婚も離婚も自由、退職も転職も何でも自由な今に産まれて、一昔前の女 性よりどれほど幸せか、とずっと思っていましたが、その自由な時代に生きていて考えるのは、「もっと自分が活かせる仕事があるんじゃないか」「本当はもっ と自分に合う男性がいるのではないか」「今よりもっと楽しい生き方があるんじゃないか」。
どこまで行っても「今よりもっと」を求めてしまって、 「ここで生きる」と根をおろす場所をなかなか決めきれない。例え第三者から羨ましいと思われる環境であっても、大抵本人には何がしかの葛藤があることが多 いように思うのです。どこか諦めきれない、ということは、「ここは自分の本当の居場所じゃないのでは?」という足元の不確かな感覚を抱え続けて生きるとい うこと。どこかかすかに不安だということでもあります。人生の自由を「謳歌して」生きるには、自信や、信念や、諦めなど、しっかり自分の腹をくくるための テクニックも必要ということなのでしょうか。自由という不自由も又あるのかもしれませんね。

余談ですが葬儀で驚いたのは、お手伝いにきていた主婦の方々。1300人を越す弔問客の自宅葬という祭祀でおおわらわの中、振舞い酒を仕切る彼女達が、全員ちゃんと弔事用の黒いエプロンをつけていたことです。

「専 業主婦」が三食昼寝付きの象徴のように思われているのは都心部の核家族世帯だけで、都内から車で2〜3時間の距離であっても、そこには地域に濃いつながり を持つ別の暮らし方がありました。そこでの「専業主婦」とは、多くの知識や機転、経験値を必要とされる、かなり高度な専門職なのだなあと感慨深くもありま した。

以上博○堂のH○LLSニュースの転載です。
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