2004/03/11 (木) ふたたび登場
日記書いて、お風呂入って寝ようと思っていたけど、どうしてもここに載せたい文章があったので、再び登場のPuhuuでございます。
私 はメルマガとかあまり読まないのですが、たまたま登録していた博○堂のメルマガ、1回もちゃんと読んだことがなかったのだけど、たまたま読んだ文章にとて も感銘を受けたので、こちらで紹介させてください。(本当は許可取らないといけないんだろうけど、こんな小さなHPだから許してくださいませ。)
このメルマガを読んで、この文章に出会えてよかったなって。初のプロジェクトマネージメントがうまく出来ず、「もう嫌だ」って思っていた時に、読んでよかった。
以下博○堂のH○LLSニュース(コラム)の転載です。↓
先 日祖母が亡くなりました。94歳の大往生でした。とても可愛がってくれた彼女の思い出を辿るうちに、ふと女の生き方って何だろうという気持ちになりまし た。物心ついたときから私にとっては「おばあちゃん」という存在だったので、これまで一度も女性として自分と彼女を重ねて考えてみたことなどありませんで したが、自分が大人になって初めて気付くこともあります。
祖母は明治の生まれ。あの年代の女性なら、20才頃には嫁がされ、恋愛結婚も多 くはなかったでしょうから、いわば夫の当たりハズレは自力とか選択眼より、「運」によるところも大きかったのではないか。そして子供を産んで育て、生を まっとうする。彼女達には、与えられた人生にどうにかしてどっかりと根をおろす、ということ以外に生きる選択肢も迷いも、ほとんどなかったように思うので す。
私の祖母は、派手な着物を欲しがるわけでもなく、宝飾品が好きなわけでもなく、特に食べ歩きや旅行が趣味だったというわけでもありま せんでした。遊びにいけば必ず「よく来たねぇ、お腹減ってないかい?」が最初の言葉で、自分より子や孫にいつも何かを与えることに喜びを感じている風だっ た、と、そんな話をしていたら、母が祖母に昔「お母さんの幸せってなに?」と聞いたことがあると言いました。その時の彼女の答えは、「そんなこと考えたこ ともない。朝起きたら窓から山が見えて、春には桜がみられて、それで充分だよ」と。
どうでしょうか。私は何だかすごい、と思いました。脚色なしに、「家族が健康で幸せならそれで良い」を地で行ったわけです。
こ の20年くらいで、女性の生き方には本当に選択肢が増えました。恋愛も自由、未婚も結婚も離婚も自由、退職も転職も何でも自由な今に産まれて、一昔前の女 性よりどれほど幸せか、とずっと思っていましたが、その自由な時代に生きていて考えるのは、「もっと自分が活かせる仕事があるんじゃないか」「本当はもっ と自分に合う男性がいるのではないか」「今よりもっと楽しい生き方があるんじゃないか」。
どこまで行っても「今よりもっと」を求めてしまって、 「ここで生きる」と根をおろす場所をなかなか決めきれない。例え第三者から羨ましいと思われる環境であっても、大抵本人には何がしかの葛藤があることが多 いように思うのです。どこか諦めきれない、ということは、「ここは自分の本当の居場所じゃないのでは?」という足元の不確かな感覚を抱え続けて生きるとい うこと。どこかかすかに不安だということでもあります。人生の自由を「謳歌して」生きるには、自信や、信念や、諦めなど、しっかり自分の腹をくくるための テクニックも必要ということなのでしょうか。自由という不自由も又あるのかもしれませんね。
余談ですが葬儀で驚いたのは、お手伝いにきていた主婦の方々。1300人を越す弔問客の自宅葬という祭祀でおおわらわの中、振舞い酒を仕切る彼女達が、全員ちゃんと弔事用の黒いエプロンをつけていたことです。
「専 業主婦」が三食昼寝付きの象徴のように思われているのは都心部の核家族世帯だけで、都内から車で2〜3時間の距離であっても、そこには地域に濃いつながり を持つ別の暮らし方がありました。そこでの「専業主婦」とは、多くの知識や機転、経験値を必要とされる、かなり高度な専門職なのだなあと感慨深くもありま した。
以上博○堂のH○LLSニュースの転載です。
私 はメルマガとかあまり読まないのですが、たまたま登録していた博○堂のメルマガ、1回もちゃんと読んだことがなかったのだけど、たまたま読んだ文章にとて も感銘を受けたので、こちらで紹介させてください。(本当は許可取らないといけないんだろうけど、こんな小さなHPだから許してくださいませ。)
このメルマガを読んで、この文章に出会えてよかったなって。初のプロジェクトマネージメントがうまく出来ず、「もう嫌だ」って思っていた時に、読んでよかった。
以下博○堂のH○LLSニュース(コラム)の転載です。↓
先 日祖母が亡くなりました。94歳の大往生でした。とても可愛がってくれた彼女の思い出を辿るうちに、ふと女の生き方って何だろうという気持ちになりまし た。物心ついたときから私にとっては「おばあちゃん」という存在だったので、これまで一度も女性として自分と彼女を重ねて考えてみたことなどありませんで したが、自分が大人になって初めて気付くこともあります。
祖母は明治の生まれ。あの年代の女性なら、20才頃には嫁がされ、恋愛結婚も多 くはなかったでしょうから、いわば夫の当たりハズレは自力とか選択眼より、「運」によるところも大きかったのではないか。そして子供を産んで育て、生を まっとうする。彼女達には、与えられた人生にどうにかしてどっかりと根をおろす、ということ以外に生きる選択肢も迷いも、ほとんどなかったように思うので す。
私の祖母は、派手な着物を欲しがるわけでもなく、宝飾品が好きなわけでもなく、特に食べ歩きや旅行が趣味だったというわけでもありま せんでした。遊びにいけば必ず「よく来たねぇ、お腹減ってないかい?」が最初の言葉で、自分より子や孫にいつも何かを与えることに喜びを感じている風だっ た、と、そんな話をしていたら、母が祖母に昔「お母さんの幸せってなに?」と聞いたことがあると言いました。その時の彼女の答えは、「そんなこと考えたこ ともない。朝起きたら窓から山が見えて、春には桜がみられて、それで充分だよ」と。
どうでしょうか。私は何だかすごい、と思いました。脚色なしに、「家族が健康で幸せならそれで良い」を地で行ったわけです。
こ の20年くらいで、女性の生き方には本当に選択肢が増えました。恋愛も自由、未婚も結婚も離婚も自由、退職も転職も何でも自由な今に産まれて、一昔前の女 性よりどれほど幸せか、とずっと思っていましたが、その自由な時代に生きていて考えるのは、「もっと自分が活かせる仕事があるんじゃないか」「本当はもっ と自分に合う男性がいるのではないか」「今よりもっと楽しい生き方があるんじゃないか」。
どこまで行っても「今よりもっと」を求めてしまって、 「ここで生きる」と根をおろす場所をなかなか決めきれない。例え第三者から羨ましいと思われる環境であっても、大抵本人には何がしかの葛藤があることが多 いように思うのです。どこか諦めきれない、ということは、「ここは自分の本当の居場所じゃないのでは?」という足元の不確かな感覚を抱え続けて生きるとい うこと。どこかかすかに不安だということでもあります。人生の自由を「謳歌して」生きるには、自信や、信念や、諦めなど、しっかり自分の腹をくくるための テクニックも必要ということなのでしょうか。自由という不自由も又あるのかもしれませんね。
余談ですが葬儀で驚いたのは、お手伝いにきていた主婦の方々。1300人を越す弔問客の自宅葬という祭祀でおおわらわの中、振舞い酒を仕切る彼女達が、全員ちゃんと弔事用の黒いエプロンをつけていたことです。
「専 業主婦」が三食昼寝付きの象徴のように思われているのは都心部の核家族世帯だけで、都内から車で2〜3時間の距離であっても、そこには地域に濃いつながり を持つ別の暮らし方がありました。そこでの「専業主婦」とは、多くの知識や機転、経験値を必要とされる、かなり高度な専門職なのだなあと感慨深くもありま した。
以上博○堂のH○LLSニュースの転載です。
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